私達の生活の中でNETの存在は今や必要不可欠で、こんなオバちゃんの公私にも大きく貢献してくれていたりもして、有り難いばかりです。 それで、アレコレNET利用する中、偶の暇潰しのNET徘徊では様々な疑問にぶち当たることが多いこの頃だったりしています。
そんなこんなのblog発言などにおいては、『表現の自由』という部分があるからなのでしょうけど・・・。
拝見していて頭がクラクラしてくるくらいに、批判の上にしか思考が成立していないような方々をよくお見かけするのですが、『自己責任』と言う言葉の下に発せられた様々な自論には表現の難しさを改めて感じてしまいます。
NET上においての『自己責任』と言うことを考えると・・・、一般の、発言のプロでもない人間が何処まで自分の言葉への責任が果たせるのやら?と思うのですが。 もし訴えられたとしたなら、謝罪に値する賠償金を払ってお終い!・・・ってだけじゃない部分も個人間の場合にはある筈で、謝罪という形だけでは埋まらない、逆の立場になることでしか理解できない精神被害のこととか、NETという範囲の広い世界での責任の大きさや難しさが気になってしまう訳なのですが・・・。
それで特に最近、エコ関係の運動や障害者支援などの活動への批判文を見かける度感じることなのですけど・・・。
その対象となっている活動の一部にある過剰な反応や偽善・欺瞞、お為ごかしには、一言も二言も発したくなる気持ちは理解できるのですが、何故に一括りにして『バカ』呼ばわりまでしてしまえるのか不思議にすら感じてしまいます。
確かに無駄で迷惑な行為と批判されても仕方のないような活動も多く存在するようですが、偽善じゃなく真摯にボランティア活動に取り組んでいる方々も多くいらっしゃるのも事実なのですけれどねぇ。
頭だけで考えることが好きな方々にとっては、そんな活動はただ馬鹿らしく見えてしまうものなのかも知れませんが、そこにはその方達の己の思考への驕りが感じられてしまうばかりです。
まず自分なりに行動を起したり少しでも経験のある方であるなら、実を知らない人にはアホらしく見えるであろうことの多さや難しさと言うものは、少なからず理解し得ているものだとも感じているので、愚弄するような言葉は発せないのではないかと思う訳でして・・・。
そう思っただけ・・・!
批判してみただけ・・・!
そんな風にただ言うだけなら容易いというものなのじゃないでしょうか!?
オレ様・ワタクシ様に言わせれば・・・な、批判(自論)を展開するのであれば、責任も裏付けできる経験もついて回って然るべきですよね?
そんなことをふと思ったりした風の強い午後・・・。
追記(5/18):
今回気になってしまった、お仲間内で褒め称えあわれているブログ記事を拝見して更に思ったこと。
確かに『いい文章』と言えるのかも知れませんが、表現の巧みさには感心はするものの、何処かで見覚えのある言葉をつなぎ合せたような感が否めず、切々と記事に書き連ねられた様々なことへの自論と引用には、ブログの他記事との矛盾が目についてしまって、私にはその記事に集まったコメントのような感動は伝わってきませんでした。(生意気な感想で申し訳ありませんが・・・)
それで、これまたよく見かけるのが・・・、そんな方々の自論(批判文)に対しての反論が、大概の方がとどのつまりの自己弁護に価値観の相違やら権利としての自由を主張される場合が多かったりしていますが・・・。
そんな都合の良い言葉には、批判なさっている物事の一つ一つがご自身達にもしっかり当て嵌まっているものでもあることに気付いてもらえたなら・・・、との思いが付き纏いました。
何しろ、何かに真摯に取り組んでいらっしゃる方々と言うのは、声高にあれこれ叫ぶようなことはしていない場合が多いですし、そういった間も惜しむかのように地道に活動されていることも、個人的な介護体験を通し目の当たりにした数々から感じています。 本来ボランティア活動って、団体に属したり機関を通さなければ出来ないものではない筈ですしね!?
そんな、誰に認められずとも日々活動をされている方々に少しでも目を向けられることや、その実際を肌身に感じられた上での批判を願えたなら・・・と、強く重ねて思った次第でした。